アメリカ国歌の着想となった1814年9月12日から15日に行われたアメリカとイギリスの間で行われたボルチモアの戦い
ボルチモアの戦いは、1812年の米英戦争中に起こった重要な戦闘の一つであり、1814年9月12日から14日にかけて行われました。この戦いは、アメリカ軍がフォート・マクヘンリーを守り抜いたことが、アメリカ国歌「星条旗」の誕生に大きく寄与したことで知られています。
戦いの背景
米英戦争は1812年にアメリカとイギリスの間で勃発し、貿易の制限や海上でのアメリカ船員の徴発、イギリスのアメリカへの干渉などが主な原因でした。1814年には、イギリス軍がワシントンD.C.を攻撃し、アメリカ合衆国議会やホワイトハウスが焼き討ちに遭いました。その後、イギリス軍は東海岸を進撃し、メリーランド州ボルチモアを標的にしました。
フォート・マクヘンリーの防衛
9月12日、イギリス軍はボルチモア市への攻撃を開始し、14日にはフォート・マクヘンリーを包囲しました。イギリス軍は艦砲射撃を行い、激しい攻撃を続けましたが、アメリカ軍は粘り強く防衛しました。この激しい攻防の中、砦に掲げられていた大きなアメリカ国旗(星条旗)が攻撃にも関わらず翻り続けました。
「星条旗」の誕生
この戦いを目撃していた弁護士フランシス・スコット・キーは、フォート・マクヘンリー上空に翻るアメリカ国旗を見て感銘を受け、その光景をもとに詩を作りました。この詩が後に**アメリカ国歌「星条旗」**の歌詞となり、アメリカの独立と自由の象徴として歌い継がれています。
ボルチモアの戦いでのアメリカ軍の防衛成功は、戦争全体の流れにおいても重要な転機となり、米英戦争終結に向けての道を開く出来事でした。
この戦いは、アメリカの愛国心を象徴する歴史的瞬間として、今日でも広く知られています。
なぜフランシス・スコット・キーがそこにいたのか?
1814年9月、キーは弁護士として捕虜となっていたアメリカ人医師ウィリアム・ビーンの釈放のための交渉をイギリス軍と行うため、メリーランド州ボルチモアの近くに停泊していたイギリス艦隊に向かいました。キーとその仲間は交渉に成功し、ビーン医師の釈放が合意されましたが、ボルチモア攻撃の計画を聞いてしまったため、キーらはイギリス軍が攻撃を終えるまでその艦隊のもとに拘束されていました。
「星条旗」誕生の経緯
9月13日から14日にかけて、イギリス軍はフォート・マクヘンリーに対して激しい砲撃を加えましたが、砦は持ちこたえました。攻撃が終わり、9月14日の朝、砦の上空に大きなアメリカ国旗が掲げられているのを見たキーは、強い感動を覚えます。この光景を基に、彼は詩を書き始めました。この詩が後に「星条旗(The Star-Spangled Banner)」として知られるようになり、1931年にはアメリカ国歌として正式に採用されました。
キーがその場にいたのは偶然というよりも、重要な交渉任務が背景にあり、彼の目の前で繰り広げられた愛国的な光景が、後にアメリカの象徴的な歌となる詩の誕生に繋がりました。